小倉城と城内に残る三基の塚(花塚、筆塚、茶筌塚)について調べてみた (2/3ページ)

心に残る家族葬

1961(昭和36)年、北九州華道連盟(現・北九州いけばな協会)が、花の霊を祀るために立てた。

そして三基目が筆塚。1965(昭和40)年、文化振興を祈念し、毎年10月に使えなくなった筆を供養するためのものだ。

■当時はきっと贅沢、特別な品だった茶筌、花、筆

祀られた「茶筌」「花」「筆」…必ずしも現代の我々ほど「豊か」ではなかったはずの当時の日本人からすると、今の我々以上にそれらの品々は、「贅沢」「特別」、もっと言えば「それどころではなかった」はずだ。だが、逆に日常の忙しく、そして質素な生活とはかけ離れた「贅沢」「特別」なものだったからこそ、感謝の心を込めて、供養がなされたと言えるだろう。

■現代ではそもそもモノに対して供養が行われることは少ない

大体10月ぐらいから始まる、おせち料理の予約案内。10月31日のハロウィンの喧騒が終わったら、クリスマスケーキ。年明け気分が何となく抜けてきた1月半ば過ぎから、近年全国区になっている恵方巻きの宣伝が始まる。そしてそれらは必ず、当日になって駆け込み購入する人々の長蛇の列や、デパートやスーパーなどでの「大売り出し」の様子、そして翌日以降、売れ残って大量の廃棄処分となっている様が報道されている。環境省発表の、2015(平成27)年度における、日本の「食品廃棄物」や、本来食べられるものであるにも関わらず、売れ残ってしまったことで廃棄されてしまう「食品ロス」の推計数は、前者が2842万トン、後者は646トンに及ぶと言われている。人の口に入る「食品」であるだけに、古着や電化製品、ペットボトルなどとは異なり、「リサイクル」や「リユース」はなかなか難しい現状だ。

また、現在では食品のみならず、人間が日々の生活を成り立たせるために使われ、結果的に捨てざるを得なくなった「もの」に対する「供養」が行われている例は、極めて少ない。

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