プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ザ・シーク」老いてなお盛んな“アラビアの怪人” (1/3ページ)

週刊実話

 一口に悪役レスラーといっても、ラフファイターか反則中心の選手かに二分される。後者の代表的な選手であるザ・シークは、漫画『プロレススーパースター列伝』などから“小悪党”の印象を持つファンも多いが、さて、その実相は?
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 ザ・シークの初来日は1972年の日本プロレス。当時のエース、坂口征二の持つUN王座に挑み、これを奪取している。翌日のリターンマッチに敗れて王座を返す格好にはなったが、参加はこの2戦のみというNWA王者ばりのVIP待遇であった。

 '73年には初代王者のジャイアント馬場が持つPWF世界ヘビー級王座に、初防衛戦の相手として挑むため全日本プロレスに参戦。このときも日プロのときと同じく、2試合のみの特別参戦であった。

 この頃、シークはすでに40歳を超えていたが、それでこの特別扱いはいかに大物であったかの証拠と言えるだろう。

 アブドーラ・ザ・ブッチャーと組んだ史上最凶悪コンビの印象が強いが、この2人が'77年の世界オープンタッグ選手権で、ザ・ファンクスと伝説の大流血戦を繰り広げたとき、シークは51歳であった。

 ちなみに、このときブッチャーは36歳(41歳説もあり)、ドリー・ファンク・ジュニアも同じく36歳、テリー・ファンクは33歳で、シークだけがひと回り以上も年上だったわけである。
「最凶悪コンビではブッチャーばかりが目立っていた感もあり、シークについては“反則しかできないロートル”ぐらいに思っていた人もいるでしょう。しかし、年齢を考えればそれも仕方ありません。脂の乗りきった全盛期のブッチャーと、すでに峠を越えたシークだったわけですから」(プロレスライター)

 それでいて'79年あたりからは、ブッチャーと仲間割れ抗争を繰り広げるなど、シークは50代半ばになってもなおプロレス界の第一線で活躍している。

 参考までに、日本人レスラーの50代半ばがどうであったかというと、馬場はファミリー軍団として悪役商会を相手に、前座で明るく楽しいプロレスに専念。アントニオ猪木は55歳で引退。長州力のWJが実質崩壊となったのは、52〜53歳あたりのことであった。

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