かつてそこには大きな湖があった。急速な水面低下で船が打ち捨てられた状態になっているアラル海「船の墓場」

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かつてそこには大きな湖があった。急速な水面低下で船が打ち捨てられた状態になっているアラル海「船の墓場」
かつてそこには大きな湖があった。急速な水面低下で船が打ち捨てられた状態になっているアラル海「船の墓場」

image credit:Mark Pitcher/flickr

 ほんの30年ほど前、ここには地球で4番目に大きな内陸湖があった。

 それは雄大で、かのアレクサンダー大王は渡るときの苦労を書き残している。またそう遠くない昔、たくさんの船が漁に出て、湖畔は行楽客でひしめいていた時代もあった。

 だが、過去600年で初めてアラル海はほぼ干上がってしまった。そして、そこに取り残された錆びついた船が、幽霊船のような姿で往時の面影を伝えている。

 現在のアラル海は1960年代のときの1割しか残っていない。その原因は明らかに人災であって、史上最悪の環境破壊の1つだと考えられている。

World of Change: the Shrinking Aral Sea

・無計画な灌漑プロジェクトの影響で干上がった塩湖、アラル海

 中央アジアに広がるアラル海は、ウズベキスタンとカザフスタンにまたがる塩湖である。時計の針を数十年ほど戻せば、ここはソビエト連邦が統治する地域であった。

 1960年代、ソ連は、この一帯で営まれていた綿花産業を拡大するために、付近の主要な河川から水を引き込むという大規模な灌漑プロジェクトを実行に移した。

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image credit: young shanahan/flickr

 最初はそれなりに上手くいっていた。だが70年代には毎年60センチという猛烈な勢いで水位が下がり、アラル海は縮小を始める。

 また1975年には魚が病気になり、漁師も体調不良を訴えるようになった。

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image credit:Arian Zwegers/flickr

 アラル海の水の塩分濃度はどんどん高まり、それから数十年もすると、泳げば体が白い膜で覆われるような状態になってしまった。

 かつて漁師たちはアラル海で1日で100匹を超える魚を獲ることができた。

 今日、まるで砂漠のようになってしまった元湖の村々で暮らす若い世代にとって、こうした話は年寄りが大げさに語っているようにしか聞こえないだろう。

 200万ヘクタールを十分に灌漑できるだけの大きな湖はあっという間に干上がってしまった。

 そして現在でもアラル海一帯は、世界の主要な綿花生産地だ。その意味において、ソ連はアラル海と引き換えに目的を完遂することができたわけである。

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1977年のアラル海(左)と2019年のアラル海

・現在は船の墓場として有名に

 干上がった湖底には何隻もの船が取り残され、「船の墓場」と呼ばれるようになった。

 こうした幽霊船がたたずむミステリアスな湖底の風景は、怖いもの見たさのツーリストたちの間で有名になり、今やいわゆるダークツーリズムの人気スポットである。

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image credit:davidkroodsma/flickr

 幽霊船をカンバスに見立てたグラフィティアーティストたちからも注目され、「海を救え」というメッセージが書かれた船や、マーメイドが描かれた船などもある。

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image credit:davidkroodsma/flickr

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image credit: davidkroodsma/flickr

・かつての化学実験のメッカでもあった

 勇敢なツーリストたちは爪先や体をまだ残されている水につけている。だが、そこに殺虫剤といった化学物質が大量に残留している可能性は高い。

 かなりの僻地であったために、ソ連時代は生化学薬品の実験がさかんに行われた地域であった。そうした怪しげな薬品の中にはあの炭疽菌もあった。

 そう、ソ連の環境管理は科学の名の下にかなりずさんなものであり、アラル海は物言わぬ死のペトリ皿のようなものであった。

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image credit:Staecker/wikimedia

・スターリン主義的な死刑宣告

 アラルとは「島の海」を意味し、まだ水があった頃に点在していた無数の島々を言い表している。ここでは家畜用の果物、クローバー、大麦も生産されていた。

 今日、アラル海をもとの湖に戻す方法は、灌漑で流れが変わった河川を再び湖に注ぎ込ませればいいといった単純なものではない。

 そんなことをすれば、ここに新しく形成された農家の生活がめちゃくちゃになってしまう。

 ソ連は灌漑計画が地域を破壊してしまうことを否定すらしなかった。灌漑による利益で正当化し、「アラル海は美しく死ぬべき」とまで言ってのけたのだ。

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image credit:reddit

 地理学者のクリストファー・ホワイトが説明するように、それはきわめてスターリン主義的な理屈である。

 つまり、ソ連では他に魚が獲れる場所はあるが、綿花はない、ならばそのために再転換しよう、というわけだ。

 そして90年代までに、アラル海はもとの大きさの1割にまで縮小した。


・アラル海再生の試み

 だが地元の人たちは諦めていない。海に関するノンフィクションものを読んでみれば、どんなものにも、何世代もここで暮らし、海を取り戻そうと戦っている家族について書かれているだろう。

 25年前には、中央アジアの5州によって、アラル海救助国際基金(International Fund for Saving the Aral Sea)が設立された。

 また、より最近ではウズベキスタン出身のDJが、モイナクにある船の墓場で「バーニング・マン」というエレクトリックミュージックのフェスを開催した。

 これは失われた湖へ向かってヒプノティックな音楽を流すことで、かつてこの辺りの遊牧民族が行なっていた雨乞いの儀式の現代版を執り行なおうという趣旨である。

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image credit:Arian Zwegers/flickr

 そして、なにより重要なのは、2000年にユネスコがアラル海の再生を目的とした25年プロジェクトを発表したことと、2005年に世界銀行が小アラル海の堤防建設と川の流れを変える工事に対して、一部融資をしたことだろう。

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 今、かつて小アラル海、大アラル海と呼ばれた地域に静かに水が戻りつつあり、20種を超える魚が暮らしている。

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image credit:davidkroodsma/flickr

References:Greetings, from the Desert of Ghost Ships/ written by hiroching / edited by parumo
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