なぜこんなところに!?小さな石祠が物語る「日本と鎌倉の激動期」を紹介 (1/5ページ)

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なぜこんなところに!?小さな石祠が物語る「日本と鎌倉の激動期」を紹介

「第一鎌倉踏切(鎌倉市小袋谷)」……JR横須賀線の大船駅~北鎌倉駅間にある何の変哲もない踏切ですが、その袂には小さな石祠(ほこら)が遺されています。

第一鎌倉踏切のたもとに鎮座する石祠。なぜ線路に向いているのでしょうか?

この祠には学問に御利益がある弁天(べんてん)様がお祀りされていますが、線路と道路のカドになって窮屈そうです。

いかにも不自然な感じですが、そこには日本の近代化が大きく影響を及ぼしており、今回はこちらの弁天様を中心に、鎌倉における明治・大正史の一部を紹介したいと思います。

むかし昔、三つの神社がありまして……

その前に、まずこの辺り(鎌倉市小袋谷)の地図を見ておくと、話が理解しやすいと思います。

鎌倉市小袋谷とその周辺地図。「鹿島神社」とあるのは誤り

地図の概ね中央から上寄り、弁天社跡とあるのが現在の第一鎌倉踏切、その北東に成福寺(じょうふくじ)を挟んだ亀甲山(きっこうさんorかめのこやま)の上に、応神天皇(おうじんてんのう)をお祀りする八幡社(現:厳島神社)が鎮座していました。

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