柴田聡子の #わたしをつくった映画 『裁かるゝジャンヌ』という北極星 (2/3ページ)

学生の窓口

これは一体なんの話だっけ? というか、映画は、物語は、「お話」なんかでは無いような予感がしてきて、ショックだった。
私はここで「お話」から静かに旅立った気がする。とりあえず受け止めるだけ受け止めようとした。周りの友人たちと、あの映画すごくなかった? といった話をした記憶は無い。ただひとりで呆然としていた。打ちのめされてしばらくは混乱していたけれど、振り返ってみると、私の人生はあそこから一気に楽しくなったように思う。

「裁かるゝジャンヌ」を見て

多分あれは、世界には自分が一生かけても知ることのできないすごいものがありすぎるほどある、と初めて痛感し、自分の居る場所はとてつもなく小さな点で、思いつくことのほとんどはそこらじゅうで思いつかれているのだと思い知った瞬間だった。
もしかしたらそれは、ここからもう一歩も動けない理由にもなったかもしれないけれど、自分にとってはかえって、このとりとめのなさすぎる今の一分一秒を頑張って歩くための地図のような役割をしてくれている。ものごころがついたのをあの時だ、としたいくらいの経験だった。

自分が目にしたものを自分がどんな風に感じているのかは自分が考えなければ誰も考えてくれないし、教えてくれない。誰かは教えてくれているようで実はそうでもないことも多い。たとえ戸惑いに近い複雑な気持ちであったとしても、心動くことや説明のつかない確信が自分にあったらそれにしつこく目を向けたほうがいいと思った。
人間にとってすごく当たり前のことだけど、根っから適当で怠け者の自分は、これに気付かず死んでいったとしても不思議ではなかった。気付いてよかった。

生きていると、いいことと同じくらい変なこともたくさんあるし、とてつもないものはどんどん出てくる。世界は思った以上に広大で自分の尺度や現在地なんていとも簡単にわからなくなる。

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