柴田聡子の #わたしをつくった映画 『裁かるゝジャンヌ』という北極星 (1/3ページ)

学生の窓口

柴田聡子の#わたしをつくった映画 『裁かるゝジャンヌ』という北極星

大学に入りたてのころ、たしか、映画概論、といった感じの名前がついた授業があった。映像専攻だったので、それにまつわることの歴史を学ぶのは自然な流れだった。

初回では、馬が走り続けるゾートロープの映像から始まり、エジソンが作ったというドレスの袖や裾をぶわぶわと振り回して踊る人の映像、リュミエール兄弟の「工場の出口」など、人類の映像史上最初期の作品を見た。先生は、これが映画のはじまりです、と淡々とした調子で、私たちのほうをあまり見ずに話した。この時、私の内面は少しずつ波立っていた。面白いのか面白くないのかの判断がまったくつかない。すごく面白い気もするけど全然面白くない気もする。

授業はつつがなく回を重ねた。次に「戦艦ポチョムキン」が来た。これはとても印象に残っている。監督のエイゼンシュテインは演出の手法として、例えば「とても悲しい」という感情を表現する演技を俳優に求める時「できる限り顔を縦に伸ばすように」というとても具体的で誰でも実行できる指示をしたらしい。
この話は今でも度々思い出しては自分の音楽にも反映してみたりするほど、自分史上でもかなり重要なエピソードなのではあるが、映画の始まりに流れた「人間とウジ虫」という字幕の力強さを前に、密かに卒倒しそうだった。心底恐ろしかった。

そして、何回目かの授業で「裁かるゝジャンヌ」が流された時、自分でもよくわからない熱狂が心の中で沸き起こるのを感じた。前に述べた映像群と同じく、歴史を背負ってきたものらしく気高くいかめしい雰囲気ではあったけれど、目に飛び込んでくる画面は全てまちがいなくすごかった。
延々と続く衝撃的にかっこいい映像とカットに圧倒される中で「お話」というものの存在もどんどん曖昧になっていった。

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