江戸時代、大奥にあった「開かずの間」の怪談。5代将軍・徳川綱吉に付き纏う死の噂とは? (2/3ページ)
徳川家慶像(wikipediaより)
ちなみに家慶が見た黒紋付の老女は、信子が綱吉を殺したときに手伝った女中だと言われています。そのため、何か凶事がある際には、黒紋付の老女が現れるという噂が大奥で広がったのです。
この話は明治生まれの江戸文化の研究家である三田村 鳶魚(みたむら えんぎょ)が、著書「御殿女中」に「宇治の間の怪」として記しています。
「御殿女中」は、大奥で働いていた女中たちから聞き取った話を鳶魚がまとめた書物です。鳶魚が活動していた当時は大奥の女中たちがまだ存命だったため、話を集めやすかったのでしょう。
三田村 鳶魚が聞いた女中の話三田村 鳶魚の著書「御殿女中」には、宇治の間は本丸の次の仏間の次にあったと書かれています。
そして鳶魚が聞いた女中の話では、綱吉が信子に殺されてしまったので、宇治の間はずっと物置のような部屋として使っていたそうです。実際は開かずの間ではなく、不用品を置いていた部屋だったということになりますね。
しかしそのような扱いの部屋であったにもかかわらず、大奥が何度も建て直しをしている中で、宇治の間も同じように建て直されたのは不思議だと女中は語ります。
平素御不用の品物などを、宇治の間へ預けて置くやうな習ひにさへなつて居りました
再三の御普請にも此の御不用な宇治の間を、従前通りにお建てになるのも誠に無用のことのやうですが
この女中は子供のころから大奥におり、この宇治の部屋がずいぶんと気味悪かったそうです。それは黒紋付の老女の怪談を女中が知っていたことも、大いに関係しているのでしょう。