江戸時代、大奥にあった「開かずの間」の怪談。5代将軍・徳川綱吉に付き纏う死の噂とは? (1/3ページ)

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江戸時代、大奥にあった「開かずの間」の怪談。5代将軍・徳川綱吉に付き纏う死の噂とは?

大奥には「開かずの間」があり、その部屋にかかわる怪談めいた話があります。

そして部屋が開かずの間になった原因は、5代将軍の徳川綱吉が「正妻に殺された」という噂が影響しているのです。

大奥の「開かずの間」の噂

大奥には「宇治の間」と呼ばれる部屋がありました。宇治の茶摘の絵が襖に描かれた部屋だったので、「宇治の間」と呼ばれていたそうです。

実はこの部屋で、5代将軍の綱吉が正室の鷹司信子に殺されたという噂があります。

徳川綱吉(wikipediaより)

元々、夫婦仲がよくなかった綱吉と信子。

信子が綱吉を手に掛けた理由は、権威を振るった側室に我慢がならなかったという説や、綱吉が側近の柳沢吉保の子供を養子にするのを止めるためだったとも言われています。

綱吉が発疹で亡くなった約1ヵ月後に、不仲だと言われていた信子も同じ発疹で亡くなったことも、噂に拍車をかけたのでしょう。

そうして綱吉の死後、事件が起こった「宇治の間」は「開かずの間」に……。

語られる「開かずの間」の怪談

この宇治の間に関する噂には、綱吉だけでなく家慶にまつわる怪談めいた話もあります。

12代将軍の家慶は、この宇治の間の前を通りかかったときに黒紋付の老女を見かけたそうです。お付きの者に、「あの老女は何者だ」と尋ねたときにはすでに老女の姿はありません。

そうして家慶はその後まもなく亡くなったと囁かれているのです。この世の者ではない存在を見てしまったため、家慶は亡くなってしまったのでしょうか。

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