疑似ドキュメンタリーの先駆けとなった米映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」が世界にもたらした影響 (4/7ページ)
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果たして、インディーズ映画そのものを都市伝説にするための慎重に編成された“デマ”は、大成功を呼んだ。
1999年7月30日に全米公開となる頃には、巷で既に大きな話題となっており、映画公開終了時には3億4,800万ドル(約376億6,700万円)もの国際的収益をあげた。
・ファウンド・フッテージ法を真似る他の映画製作者たち
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、撮影者が行方不明などになり、発見されたビデオやフィルム、もしくは監視カメラなどからの映像で構成されたフィクション作品という意味の「ファウンド・フッテージ」法を使用したホラー作品と呼ばれた。
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この映画がきっかけでファウンド・フッテージ法が広く知られるようになると、同様の手法を真似た数多くの類似作品が製作されるようになった。
間もなく、配給会社の希望で『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の続編が決まったが、マイリックとサンチェスは興味がなく、結局別のディレクターのもと、2人の希望に反する大幅な再編集がなされた『ブレアウィッチ2』が完成した。
利益はあげたものの、オリジナルほどの出来栄えにはならず、ファンや批評家からは酷評を受ける羽目になってしまった。