「第66回夏の甲子園」KKコンビに挑んだ「もう1つの金農旋風」 (1/2ページ)

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「第66回夏の甲子園」KKコンビに挑んだ「もう1つの金農旋風」

 アナタは“金農旋風”をご存知だろうか?といっても、吉田輝星(北海道日本ハム)を擁して昨年夏に甲子園準優勝に輝いた金足農(秋田)のことではない。今から35年前に“もう一つの金農旋風”があったのだ。

 1984年第66回夏の選手権準決勝。前年夏の覇者・PL学園(大阪)が追いつめられていた。桑田真澄&清原和博(ともに元・読売など)の“KKコンビ”が2年生だった時のチームである。試合は7回を終わって1‐2とPLが1点のビハインド。夏の大会2連覇を狙う王者相手に、世紀の番狂わせまであと2回と迫っていたのは全国的には無名の初出場校・秋田県代表の金足農であった。

 同校はこの年の春選抜で春夏を通じて甲子園初出場を果たしたこともあって、夏の県予選では本命視されていた。そしてみごと夏も甲子園行きを決める。甲子園では初戦から広島商を6‐3、別府商(現・別府翔青=大分)を5‐3、唐津商(佐賀)を6‐4、新潟南を6‐0と勝ち上がってきた。その原動力となったのが県内では中学時代から速球で有名だったというエース・水沢博文。金足農はこの水沢を慕って地元で評判の選手が集まったチームだったのだ。

 それでも戦前の予想は当然のように“圧倒的にPL有利”。だが、その下馬評を水沢の右腕が覆していく。初回にいきなり先制点を取れたのも大きかった。金足農は2死二塁から4番・長谷川寿の打球が不規則なバウンドのラッキーなヒットとなって1点を先制。投げては水沢が3回まで強打のPL打線を3四死球のノーヒットに抑える。4回裏の2死から6番・北口正光に左前へ初安打され、7番・岩田徹にも死球とピンチを招いたが、水沢が巧みなけん制球で一塁走者を刺し、得点を許さなかった。

 PL打線がようやく反撃したのは6回裏だった。1死一、二塁から6番・北口がライト線に運ぶ適時打を放ち、なんとか1‐1の同点に追いついたのである。それでも金足農は水沢が踏ん張り、後続を抑える。こうして試合は同点となって終盤へと突入していったのだ。

 その7回表。取られた直後に金足農がすかさず1点の勝ち越しに成功する。2死ながら二塁に走者を置き、7番・原田好二がピッチャー・桑田を強襲する適時打を放ったのだ。その裏のPLの攻撃も水沢が3者凡退に抑える。

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