落ちてきた女中、赤ん坊の遺棄…江戸時代、大奥で起こった怪事件の数々

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落ちてきた女中、赤ん坊の遺棄…江戸時代、大奥で起こった怪事件の数々

江戸時代、将軍に仕えるために作られた大奥は、多いときで3000人ほどの女性がいたと言われています。それほどの人が集まる場所には、さまざまな出来事があったでしょうね。今回は、大奥で起こった謎が多い怪事件をいくつかご紹介いたします。

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あらしという御末の事件

文政の頃、名前を「あらし」という御末がいました。(※御末とは、大奥でも下級の女中のこと)5月15日の朝、あらしの姿が見えませんでしたが、周りは「どこかで長話でもしているのだろう」と気にもとめません。

しかし時間が経っても姿を現さないことから、さすがにおかしいと思い相部屋の女中が探し始めます。さらに時間が経過して、夜半になってもあらしは出てきません。その頃には皆であらしの行方を捜すほどの騒動になっています。

千代田之大奥 おたち退

大奥中が大騒ぎになり、5月18日の夜を迎えます。午前2時頃、御天守台の下にいた人の耳に、「あらしはここに」というしわがれた声が響きます。そしていきなり落ちてきたのがあらしの無残な遺体でした。

全身をかきむしられた血だらけのあらし。10人ほどの番人が目撃しましたが、皆ぞっとしたそうです。

あらしは前から「御天守台に上ってみたい」と言っていたことから、魔物に魅入られたのではないか、女中の身で上ったため罰が当たったのでないかと噂されるようになります。(※御天守台は女中の立ち入り禁止)

赤ん坊の遺棄事件

大奥は男子禁制でありながら、なんとトイレで赤ん坊が産み落とされるという事件がありました。文政5年11月14日、トイレ掃除担当の人足がいつものように作業したところ、赤ん坊が見つかります。

驚いた人足は御年寄に報告。(※御年寄は身分の高い人に謁見できる役職)男子禁制の大奥で赤ん坊が産み落とされたということで、かなりの大騒ぎになります。産んだ母親探しが始まりますが、一向に見つかりません。

千代田の大奥 茶の湯

しかし、ある御年寄の下女が白状したことで発覚。下女が赤ん坊を産んだのは前日の13日とのこと。産んでからそ知らぬ顔で過ごしていたというから驚きです。

出産前も出産後も普通に働いてたので、誰にも気づかれなかったと語る下女。この下女が妊娠したのは大奥に上がる前のことでした。妊娠に気づかないまま過ごし、処理に困った末の行動だったのです。

赤ん坊は女の子で、遺体は水ぶくれのような状態で発見されました。騒ぎになった折に、この下女も何食わぬ顔で赤ん坊の遺体を見ているとか。なんとも大胆な女だと、周りは囃し立てたました。その後、この下女は暇を出されることになります。

おりうという女中の事件

文政4年6月、おりうという御祐筆(※ごゆうひつ、文書の作成などをする役職)を勤める女中が決まった時刻に出てこないことがありました。朝から探しても見つからず、役人に届け出て探し始めますが、3日経ってもおりうの行方は分かりません。

人足も借り出されて大捜索の後、4日目に探した乗物部屋にある乗物(※駕籠のこと)の中に、おりうの姿を発見。

千代田の大奥 御遊山

藤島という御年寄の乗物の中にいたおりうは、血だらけで絶命していたのです。血はすでに黒くなっており、いつ死んだのか分かりません。

発見されたとき、乗物の中は血だまりで、体中が血に染まっていたほど凄惨な状態でした。そのため、妖怪の仕業だと恐れられるようになります。

災難だったのは乗物の持ち主である藤島です。新しい乗物を作ることになったのですが、気持ちは晴れなかったでしょうね。

参考文献:三田村 鳶魚「御殿女中」(1930年)

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