八代亜紀「“美人喫茶”で歌って…」ズバリ本音で美女トーク (4/5ページ)

日刊大衆

その後、79年に八代さんの代名詞とも言える『舟唄』をリリースされ、演歌歌手としての地位を不動のものに。一方で、画家としての活躍も目覚ましいです。

八代 父の影響で始めたんですけど、30年くらい前に箱根にアトリエを作って毎月3日間は、そこに籠って絵を描いています。

――フランスの国際公募展「ル・サロン」に出品され、98年から5年連続入選し、永久会員になられています。

八代 絵の先生から出品してみないか、と言われたんですけど、落ちたら恥ずかしいからってお断りしたんです。「国内じゃなくて海外のだよ。海外だったら落選しても誰にも分からないよ」って言われて、チャレンジしたら入選したんです。

――画家としても結果を残しているからすごいです。絵を描いているときは、どんな気持ちなんですか。

八代 童心に戻っていますね。「亜紀ちゃん」に戻っています(笑)。

――ハハハハ。94年には結婚もされて、幸せも手にされました。

八代 それまでは全然、独身でもいいと思っていたくらいだったの。

――でも、八代さんだったら、プロポーズしてきた男性が多かったのでは?

八代  ウフフ、ありましたよ。でも、私は結婚したいって気持ちはまったくなかったので、お断りしていたんですよ。以前は“男は悪い”って思っていたくらいなんです。キャバレーで歌っていた頃に、お姉さんたちからずいぶんとひどい話を聞かされて、「女を泣かせるなんて」って。

■『舟唄』で“男心”が分かった

――そんな男性に対する考えが変わったきっかけは何だったんですか?

八代  やっぱり『舟唄』との出会いが大きかったですね。この曲で初めて“男心”が分かったんです。男も辛つらいんだなって(笑)。

――『舟唄』は八代さんにとって、人生のターニングポイントとなった歌だったんですね。ちなみに八代さんが20代ぐらいの芸能界の恋愛事情はどうでしたか?

八代  私の時代は絶対、ダメでしたよ。恋愛しているというのがバレるとガタッて人気が落ちるって言われた時代でしたからね。

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