原爆被爆者とは人だけではない。広島の報専坊に遺る被災樹木を調べてみた。 (1/5ページ)

心に残る家族葬

原爆被爆者とは人だけではない。広島の報専坊に遺る被災樹木を調べてみた。

令和元年8月6日もまた、広島市での平和記念式典は、つつがなく終わった。式典参加者のみならず、日本全国の多くの人々が、原爆投下時刻の午前8時15分に、亡くなった方々を追悼し、世界の恒久平和を誓った。しかし、1ヶ月も経ってしまうと、「当事者」以外の世の大半の人々は、日々の生活の忙しさや、連日発生する衝撃的な事件事故に心を奪われ、「8月6日の広島への原爆投下」を忘れたまま、1年後の8月6日を迎えるのが現実だ。だが「あの日」をずっと忘れずにいる「当事者」とは、人間だけではない。

■広島では160本程度の被災樹木が現存している

広島には、原爆の熱に焼かれたり、爆風に吹き飛ばされたりしても、そして放射線による細胞内部への侵食を受けながらも、木そのものが生き抜いているもの、或いは焼け焦げてしまっても、そこから新芽や枝、株を伸ばすことで復活し、戦後74年を経た今も生き続けている木々がある。広島市は、爆心地から半径2km圏内の木々を「被爆樹木」と認定し、その木々の調査・保存を長く続けてきた。そうした被爆樹木は現在、およそ160本にも及ぶという。

160本の木々にはそれぞれ、原爆が落とされる前、そして落とされた後も、その木を知る地域の人々にとって、様々な思い出やエピソードが存在する。そのうちの1本、爆心地から1120mの距離だった、広島市中区寺町にある浄土真宗本願寺派の寺・報専坊(ほうせんぼう)にあるイチョウの木を紹介したい。

■報専坊を原爆から守ったイチョウの木

この木の高さは22m、幹回りは2.5mと、実に堂々とした姿を見せている。しかし木の幹は爆心地方向にわずかに傾き、樹皮には今なお消えない熱線の跡が残っている。原爆の影響で当たり一面焼け野原となり、寺そのものも倒壊したにもかかわらず、この木が植わっていたおかげで、寺は火災から免れた。イチョウの木には保水能力があるというが、ここではまさにイチョウが身を呈して、寺を守ったのだ。

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