天才テリー伊藤対談「山下真司」(2)高額ギャラよりも俳優を選んだの!? (2/2ページ)
山下 当時で月80万円ぐらいですかね。そこそこ稼いでいたとは思いますが、いつまでもこんな生活が続くはずはないし、30歳になった時に世間から捨てられるのは嫌だなと思って、24歳で文学座の研修所に入ったんです。
テリー へえ、あの頃の文学座って、なかなか入れなかったんじゃないですか。
山下 当時は松田優作さんや中村雅俊さん、樹木希林さん、桃井かおりさんなどそうそうたるメンバーがいらっしゃいましたからね。上智大学で試験を受けたんですけど、受けたのが2000人で受かったのは200人、今も現役で残っているのは3人ぐらいですね。
テリー そこまでの高額のギャラを捨てて役者になるなんて、よくそんな勇気がありましたね。
山下 最初はモデルクラブに所属したまま研修所の授業に通っていたんです。でも、そうしているうちにモデルの仕事を断ることが増えてきてしまって、社長から「中途半端な仕事をするな」と言われまして。若いし、純情でしたから、そこでモデルは辞めることにしたんです。1年くらいは貯金で食べていけるだろうと。
テリー 今だったら、モデル事務所が役者を抱えるなんて珍しくないのにね。
山下 実はその事務所の先輩に奥田瑛二さんがいて、やっぱり役者をやりながらモデルもやっていたので、向こうとしては、そこまで重たい話じゃなかったのかもしれません。でも、自分の中ではそれで踏ん切りがついて、研修の終わり頃に「太陽にほえろ!」のオーディションに行ったら、たまたま受かってしまって。
テリー とんとん拍子じゃないですか。
山下 「文学座」のブランドがあったからこそ、とも思うんですが、新人の登竜門的な人気番組に出られることが、とにかくうれしかったですね。