国内では数少ない経済産業省から伝統工芸品として指定されている仏壇について (3/3ページ)

心に残る家族葬

そこで仏壇製造業者は漆器製造に力を入れ、漆器徒弟学校の経営など熱意を見せたものの経費多端で維持多難、廃校を余儀なくされた。その後、飯山地方の根強い仏教信仰に支えられ、仏壇製造は盛り返し、徐々に発展の道を歩み始めた。飯山仏壇の職人の多くは世襲で少年時から専門の仕事で腕を磨いているため、製品は塗りがよく優美、金箔も上等のものを使いながら廉価であると言われている。

■歴史と品格を兼ね備えた京仏壇と京仏具

王城の地と称され、実におよそ千年、日本の首都として君臨した京都はなんと言っても信仰の中心地であり、仏壇・仏具に関しても他産地に追随を許さぬ技法を現在まで守り抜いている。たとえば、金箔をそのまま使うことでキンキラとした荘厳さは演出されるが、京仏壇では、下地に漆を用い、荘厳さの中に品格と威厳を内包するための工夫がなされている。京都の伝統工芸は、歴史の重みの中で、都の性格を反映した工匠的なものが多く、それは、古来より、貴人富豪の嗜好に合わせ、細部にまで心配りのされた宮廷工芸として発展してきた背景が関連していると考えられる。また、平安後期、京都は、藤原氏一族の宇治平等院鳳凰堂造営をはじめとする仏寺建立に伴い、仏具工芸のメッカとなっていった。


■仏殿の建築から見る仏壇

摂関政治の最盛期、平安貴族は、現世の欲望を祈祷によって満足させようと寺を建て、その功徳によって一門の反映を願ったと言われている。かの有名な藤原道長も、法成寺を建立し、扉や壁には極楽浄土の光景を描かせ、極楽に思いを馳せたという(栄華物語)。道長の子、頼通もまた、宇治の別荘を改築して寺とし、平等院と名付け、院内に阿弥陀堂を建て、阿弥陀仏像を安置した。これが世に言う鳳凰堂である。これらの持仏堂は、心の中に極楽浄土を念ずるだけでなく、荘厳な造形美術によってこの世に極楽浄土を具現化しようとしたものだと考えられる。

■仏壇から見る我々の極楽浄土

こうして見ると、普段目にする仏壇に様々な宗教的背景があることがわかる。北から南まで様々な文化が発展し、土地独自のものが発達したにもかかわらず、なぜ仏壇だけがどの土地にもあるのか疑問に感じていた。しかし、それが弾圧や強制配置の結果であること、また、一見同じように見えてその構造からも統制から逃れるための工夫がされていることも見えてきた。現在の仏壇は、宗教教理にもとずく礼拝の対象というよりは、先祖や近親者の冥福を祈り、御霊と共に生活しているという安らぎを得るものである。しかし今一度、仏壇に手を合わせて考えたい。当時、混迷を極める時代に安らぎと極楽浄土描いたものが仏具や仏壇であるなら、今の我々が思う極楽浄土とはどのような形のものだろうか。

■参考資料

■田中寿雄編「日本の伝統仏壇集」(1977)

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