嘉納治五郎の最期。なぜIOCは彼に一目置いたのか「いだてん」第37話振り返り (1/2ページ)

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嘉納治五郎の最期。なぜIOCは彼に一目置いたのか「いだてん」第37話振り返り

「いだてん」第37話「最後の晩餐」が放送されました。

日中戦争が激化て戦争真っただ中の日本。そんなときにオリンピックをやるべきなのかというオリンピック反対の声が高まります。田畑、そして金栗も戦争の当事者でありながら平和の祭典を開こうとすることに矛盾を感じ、葛藤するさまが描かれました。

しかし、それでも嘉納はオリンピック開催返上には「うん」といいません。競技場もはっきり決まらない中、1938年にエジプトのカイロで開かれたIOC総会に出席すると、改めて東京オリンピック開催が再確認されるのです。

東京オリンピック開催を見ることなく死去

反対論を跳ね飛ばすように、ほぼ丸腰で挑んだIOC総会で各国に開催を認めさせた嘉納。反対論はもちろん日本国内だけでなく、世界中で広がっていたのです。開催国決定の際には同じアジアとして日本に票を投じてくれた中国代表も、さすがに開催国の変更を叫びます。しかし嘉納は、改めて「スポーツと政治は別」だと訴え、返上を阻止しました。

IOC再確認されるや否や、国民にラジオで「オリンピックで平和な世界を実現しよう」と訴えた嘉納。日本国内ではもう政治とオリンピックを切り離しては考えられないような空気になっていましたが、嘉納はあくまでもオリンピックはスポーツマンシップに則った平和の祭典である、と伝えたかったのでしょうか。

なんとしても東京オリンピック開催を、と努力し続けましたが、嘉納はそれを見ることなく、カイロでの総会の帰路途上で亡くなります。

5月4日、カナダのバンクーバーから横浜へ向かう氷川丸の中で、嘉納は肺炎にかかって亡くなり、77年の生涯を終えました。

なぜバンクーバーから帰った?

IOC総会が開かれたのはエジプト・カイロなのに、嘉納はなぜカナダ・バンクーバーから出発したのでしょう。

これは、総会が終わった後も各国をめぐっていたからです。まずはクーベルタン男爵の慰霊祭に出席。その後もヨーロッパの各国、さらにアメリカを訪問し、その地のIOC委員と面会して、今度の東京オリンピック開催に賛同・同意してくれたことを感謝してまわっていたのです。

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