伝説のパチプロ集団「梁山泊」25年目の真実(8)「浪速の哲」はラーメン店で成功 (1/2ページ)
平成時代、パチンコ業界で一大センセーションを巻き起こしたパチプロ集団「梁山泊」。その元リーダーK氏がこれまで、ホールや警察との熾烈な攻防戦を明かしてきたが、今回からは「カジノ攻略」を目指す“新生梁山泊”の野望について語り尽くす。
私たち梁山泊のメンバーは94年に結成して以来、4年間にわたって全国のホールを舞台に合法的なテクニックを駆使して攻め続け、連戦連勝しました。
休みはクリスマスから年末年始までの2週間ほどですから、それこそ1年で340日、連日、最低でも15万円から20万円を稼いだものです。もちろん、宿泊費や移動費などの経費が半分ほど占めますが、それでも月収300万円以上、1年間で4000万円ほどの稼ぎになりました。
ただ、4年間で残した預金額となると、個人差が大きかったですね。
例えば「日本一のパチプロを目指す」と公言し、「爆裂王」の異名を持っていた大野くんは、宵越しの銭は持たない主義。詳しいフトコロ事情はわかりませんが、江戸っ子風の気前よさを気取るタイプで、夜は歓楽街に繰り出すことも多々ありました。
逆に大野くんより5歳年下で「浪速の哲」と呼ばれたテツヤくんは、「この状況はいつまでも続くものじゃない。終わりが来る」と、将来を見据えていました。梁山泊解散後、ゼロからラーメン店をスタートさせて大成功。当時、日本中を旅しながら人気店の味をチェックするなど、しっかりと構想を練っていたからだと思います。
──
解散後、順調な人生を送っているメンバーは、ことのほか少ない。前述のテツヤ氏や元リーダーK氏ら神戸グループ。そして北海道のホールで悪徳警官に脅迫罪で逮捕された副リーダーM氏のほか、あと2名ぐらいだという。
──
そもそも、私とその部下だった2人以外は、攻略プロを生業とする一匹狼タイプばかりですから、梁山泊に入る前は「自分だけが稼げればいい」と考えるような、本当にロクでもないヤツばかりでした(笑)。
私に攻略集団結成の話を持ちかけてきた滋賀グループにしても、最初は苦労させられましたよ。「春一番」の攻略法である「ランプ打法」にしても、重要なポイントは明かしてくれませんでしたからね。