いまだ謎に包まれた死。幕末の美男役者・八代目 市川團十郎はなぜ32歳で自殺したのか?その2

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いまだ謎に包まれた死。幕末の美男役者・八代目 市川團十郎はなぜ32歳で自殺したのか?その2

幕末に、稀代の美貌を持つ大人気歌舞伎役者がいました。8代目市川團十郎です。彼は人気絶頂のさなか、32歳で自ら命を絶ちました。あまりにも突然であり、本人が何も語らずに亡くなったため、その死はいまだに謎に包まれています。

前回に引き続き、8代目市川團十郎の生い立ちや境遇を辿り、その謎を考察します・・・。

前回の記事はこちら

謎に包まれた死。幕末の美男役者・八代目 市川團十郎はなぜ32歳で自殺したのか?その1

複雑な家庭環境

前回ご紹介したとおり、8代目團十郎は、文政6年(1823年)に実父である7代目市川團十郎の長男として江戸に生まれました。

「助六由縁江戸櫻」の花川戸助六

7代目團十郎は成田屋らしい豪快な芸を披露して江戸歌舞伎の大権威として絶大な人気を博しましたが、芸風だけでなく、私生活も非常に贅沢華美を極めた人物でした。

彼には8代目團十郎を生んだ正妻のほかに、2人の妾がいました。正妻に関しても2回再婚していますから、7代目團十郎は生涯で5人の妻を娶っていたわけです。精力盛んで、8代目團十郎を筆頭に子供が12人もいたため、自分でもふざけ半分自虐半分に「寿海老人子福長者」と名乗るほどでした。

そんなわけで、團十郎家が4代目から代々住んでいた深川の島田町の実家は、傍から見れば華やかな役者家族でしたが、内実は7代目團十郎、正妻、妾2人、腹違いの12人の子供たちという、8代目團十郎にしてみれば超複雑な家庭環境でした。

これだけの人数がひとつ屋根の下に暮らしていたのですから、家庭内の揉め事も絶えなかったようです。

天保の改革で大打撃

そんな中、大事件が発生しました。老中・水野忠邦の天保の改革が始まったのです。

天保の改革を皮肉った浮世絵。
歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」

倹約令が施行され、華美な祭礼や贅沢・奢侈はことごとく禁止。庶民の娯楽も制限される対象となり、芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖、浮世絵・戯作の規制など多くの文化人が影響を受けました。

繰り返される贅沢禁止の御触れ!江戸時代の倹約令ではどんなことが制限されたの?

中でも、当代きっての大人気役者だった7代目市川團十郎への制裁はとくにひどいものでした。

代々住んでいた家は取り壊され、7代目自身は奢侈の罪で江戸から追放(江戸十里四方追放)。処罰される役者が人気があればあるほど庶民に対して大きな影響力を持つため、贅沢をするとこういう目に遭うんだぞ、という見せしめにされたのです。

8代目團十郎は、偉大な父を頼る事ができなくなります・・・。

【次回に続く】

八代目 市川團十郎

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