桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った服部小平太と毛利新介…その後の人生どうなった?【二】 (2/4ページ)

Japaaan

服部小平太(右)の一番槍。右田年英「今川義元桶狭間大合戦之図」明治三十一1898年

桶狭間の戦い以降しばらく、小平太は目立った働きが見られなくなりますが、義元に斬られた膝の後遺症に苦しんでいたのかも知れません。同僚たちの活躍を前に、忸怩たる思いを抱えていた様子が察せられます。

一方、弟の小藤太は後に信長の嫡男・織田信忠(のぶただ)に仕え、各地を転戦したようですが、これが後に命運を分かつことになるのでした(※小藤太は本能寺の変に際して、京都・二条御所で信忠を守って討死しています)。

再び服部小平太が登場するのは信長が明智光秀(あけち みつひで)の謀叛によって殺された「本能寺の変」以降、信長の重臣であった羽柴秀吉(はしば ひでよし。後の豊臣秀吉)に仕えた記録が残っています。

本能寺の変が起こった当時、小平太がどこで何をしていたかは不明ですが、後に秀吉の黄母衣衆(きほろしゅう。騎馬親衛隊)に抜擢されていることから、膝の傷も次第に癒えて、秀吉の配下(あるいは信長から派遣されたお目付け役)となっていたのでしょう。

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