桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った服部小平太と毛利新介…その後の人生どうなった?【三】 (5/6ページ)

Japaaan

「……かくなる上は少しでも時を稼ぎ、若君の最期をけがさぬようお守り致そう」

「「「おう!」」」

最期まで主君を守り抜く新左衛門たち(イメージ)。

かくして新左衛門らは奮闘の末に討死、信忠が自害するまでの時を稼ぎましたが、義元に食いちぎられた手指がこれほど惜しく感じられたことはなかったことでしょう。

享年は推定40歳前後、子供については記録がなく、新左衛門の嫡流はここに絶えてしまったものと考えられます。

終わりに

以上、服部小平太と毛利新介の生涯を追って来ました。

桶狭間を境に出世競争でやや後れをとったものの、生き永らえて城持ち大名にまでなった小平太と、逆に順調な出世を遂げたものの本能寺の変であえなく散った新介(新左衛門)。

大器晩成の小平太と栴檀双葉(※)の新介……対照的な人生を送り、末路もそれぞれ大きく違った二人ですが、桶狭間で共に助け合い、死力を尽くして「海道一の弓取り」今川義元を倒したことは、かけがえのない絆となったに違いありません。

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