プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「クラッシャー・バンバン・ビガロ」どんな仕事もこなした“刺青獣”のプライド (2/2ページ)

週刊実話


「’89年、ソ連のレッドブル軍団初来日でサルマン・ハシミコフと対戦したビガロは、わずか3分足らずで敗れましたが、これが関係者からするとパーフェクトの出来。まだプロレスの動きに慣れない相手をリードして、フィニッシュの“水車落とし”には、大きな受け身で技の強烈さに説得力を加えてみせた。メインのアントニオ猪木vsショータ・チョチョシビリが今ひとつの試合だったことを思えば、その後のレッドブル軍団の活躍はビガロの手柄と言ってもいいくらいです」(同)

“仕事のできる選手”として、’90年には鳴り物入りでデビューした北尾光司の相手も務めることになる。

★ほうき相手でも試合できる技量

 こうした便利屋的な扱いは米国においても同様で、善玉も悪玉もこなし、’95年には元アメリカンフットボール界のスーパースター、ローレンス・テイラーによる一夜限りのプロレス挑戦の相手として、レッスルマニア10でメインイベントを闘っている。
「試合は双方に見せ場のある好勝負となりました。テイラーもそれなりに稽古を積んだのでしょうが、やはりビッグイベントのメインとして成立したのは、『ほうきが相手でも試合ができる』と自称していたビガロによるところが大きい。WWEとしても、ビガロだからこそ任せられたのでしょう」(同)

 しかし、便利屋ゆえかメジャーどころのシングル王座には縁がなく、’98年にECW(米インディー団体)でTV王座を獲得したときも、“両者が倒れた衝撃でリングに穴があき、そろって転落した後、先に生還したビガロが相手を引きずり出してフォールする”というイロモノ的な展開だった。
「WCWハードコア王者だった頃のビガロは、実に楽しそうに闘っていて名試合も多いのですが、ハードコアマッチ自体が一種イロモノですからね」(同)

 今でもビガロの名前がお笑い芸人の芸名やTシャツ屋、飲食店の名前に使われるなど、ファンから愛され、関係者からも高く評価されたプロレス人生であったが、果たしてそれは本望だったのか。

 ’96年には総合格闘技戦に挑んでおり(vsキモ)、結果的に敗れたとはいえ腕っぷしの強さにも自信はあっただろう。

 北尾戦で敗れた後、リングから離れたところでヒラリと側転してみせたのは、便利屋扱いする関係者たちへのせめてもの反抗心の表れだったかもしれない。

クラッシャー・バンバン・ビガロ
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PROFILE●1961年9月1日生まれ〜2007年1月19日没。アメリカ合衆国ニュージャージー州出身。
身長191㎝、体重165㎏。得意技/ニュークリア・スプラッシュ(ダイビング・ボディ・プレス)。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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