【門松にまつわる一説】武田氏にリベンジ!門松の竹をナナメにぶった斬った徳川家康のエピソード (2/4ページ)
「この恨み、晴らさでおくべきか!」
あまりの悔しさに傍の竹を袈裟(けさ。斜め)に斬り落とし、家臣に命じました。
「来年から、門松の竹は皆このように袈裟斬りと致せ!」
竹を「武田」に見立てることで、三方ヶ原の悔しさを忘れず、リベンジの意志を新たにしたところ、これを知った武田勝頼(たけだ かつより。信玄の嫡男)がこんな歌を送って寄越したそうです。
「まつかれて たけたくひなき あしたかな」
【読み下し】松枯れて 竹、類なき 朝(あした)かな」
【意訳】松=松平=徳川は枯れて衰え、竹=武田は類なく栄えるであろう
「おのれ武田め……!」
この歌を知って家臣たちは怒り狂いましたが、家康はニヤリと笑って返書の筆をとりました。
家康の機転で意趣返し!武田にリベンジを達成「御屋形様!斯様(かよう)なる侮辱を受けながら、何を笑(わろ)うておいでか!」
家康は家臣たちの怒りも気にとめず、武田への返歌(へんか。送られた歌に対する返事の歌)をスラスラと詠み上げました。