【門松にまつわる一説】武田氏にリベンジ!門松の竹をナナメにぶった斬った徳川家康のエピソード (1/4ページ)
昔から「七草の風に当てるな」と言われるように、多くの家では七草粥を食べる1月7日まで(その前日、1月6日)にはお正月飾りを片づけるようですが、家々の門前を華やかに飾っていた門松が見えなくなると、いよいよお正月の終わりを感じて少し寂しいものです。
ところで、その門松の中央を占める竹について、こんな質問がありました。
「たまに竹の先が水平に切ってある門松を見るけど、あれはどういう意味があるの?」
今どき門松の竹と言えば、斜めに切って竹槍のようになっているものが多い中で、竹を水平に切っている門松も少数派?(※地域によって異なります)ながら、センスフルな存在感を放っています。
そこで今回は、門松の竹にまつわる一説を紹介していきたいと思います。
三方ヶ原の惨敗、家康を嘲笑う勝頼の歌時は戦国末期の元亀三1572年12月22日、「甲斐の虎」こと武田信玄(たけだ しんげん)が徳川家康(とくがわ いえやす)と織田信長(おだ のぶなが)の連合軍を遠州三方ヶ原(現:静岡県浜松市)で撃破した「三方ヶ原の戦い」。
戦上手として無敗を誇っていた家康にとって、生涯唯一の敗北となった苦い思い出。