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死にはいろいろな死がある。 (2/5ページ)

心に残る家族葬



18世紀から19世紀にかけての西欧では、かつてのローマ帝国、または宗教改革やイスラム教徒の侵攻などによって破壊されてしまった古いカトリック教会跡や、領主が滅ぼされてしまい、そのまま放置されて今日に至っている城砦など、朽ち果て、草むした状態の石造建築物が風景画の一角に描かれた「廃墟画」が流行した。こうした、「2度と取り戻すことができない失われた時」を懐古する気持ちは、♪松風騒ぐ丘の上/古城よ独り何偲ぶ/栄華の夢を胸に追い/ああ仰げば侘し 天守閣♪で知られる、1959(昭和34)年に大ヒットした、高橋掬太郎作詞、細川潤一作曲、三橋美智也の『古城』のように、多くの人々の共感を得、ロマンをかき立てるものだ。



■名もなき過去の遺物としての廃墟

だが、ここで言う「廃墟」とは、先に挙げた、何百年も、場合によっては何千年も前のかつての大国や都の建造物の跡ではない。日本国内の至るところで、必ずしも「ありがたがられる」ことなく、「そのままの状態」で存在していることから、人によっては、何の役にも立たない単なる「過去の遺物」「産業廃棄物」でしかなく、変な「霊」や「呪い」がついているみたいで、何だか汚くて怖い…場合によっては、松尾芭蕉の俳句、「野ざらしを心に風のしむ身哉(みかな)」(1687年)に漂う荒凉たる雰囲気、或いは、江戸時代に行われていた罪人の処刑方法である「さらし首」のような、無残でみじめなものとみなされがちでもある、煉瓦やコンクリートや鉄材などでつくられた、古臭いデザインの日本の近代化を物語る、文化財のことだ。果たしてこうしたものは、どのような「死」と捉えられるのだろうか。

■東京都葛飾区の地獄釜の場合


例えば、現在、東京都葛飾区の、にいじゅくみらい公園内に近代遺産として残されている「地球釜(がま)」はどうだろう。
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