天才テリー伊藤対談「矢部みほ」(2)彼との別れの時にお母さんが‥‥!? (1/2ページ)
テリー デビューしてすぐ人気者になったという印象があるけど、実際はどうだったの。
矢部 最初の1年は事務所の電話番なんかをしていましたけれど、グラビアを始めたらすぐに人気が出ましたね。あと当時は、グラドルがテレビで使ってもらえる時代でしたし。
テリー それだけじゃないでしょう。かわいいし、おしゃべりもうまかったもんな。さぞかしモテたんじゃないの。
矢部 いえいえ、若い頃は友達もいなかったですし‥‥。今のほうがモテてます、なんて。自分で言うのもなんですが(笑)。
テリー とはいえ、彼氏はいたんでしょう。
矢部 私、スタッフキラーだったんですよ。番組のスタッフさんが多かったですね。放送作家さん、カメラマンさんとか。
テリー 俺、一度もそんな経験ないよ、いいなァ。そういうのって、相手から「電話番号教えてよ」なんて言ってくるの。
矢部 ケースバイケースですね、私から誘ったこともありますし。カメラマンの方とは8年続いて、5年くらい私の家で同居していたこともあったんですよ。とはいえ当時は、母と妹2人に弟が一緒に住んでいたんですけれど‥‥。
テリー ええっ、6人一緒に暮らしていたなんて、すごいな。みほちゃんが芸能界で成功したから、みんなスネをかじろうと押しかけてきた感じだ。
矢部 フフフ、毎年1人ずつやって来ました。
テリー 北の国から飛んでくる渡り鳥と同じだな。
矢部 ホント、そんな感じです。でも私は長女ですし、実家の生活事情もわかっていたから「支えてあげないと」と思っていました。
テリー 上京した家族は、みほちゃんと彼との収入で養っていたの。