NHK大河が30倍楽しめる!『麒麟がくる』明智光秀の謎 (3/3ページ)

日刊大衆

南蛮人宣教師は“毛髪一本残すことなく灰燼に帰した”と書簡に書いており、本能寺御殿で爆発があった事実をうかがわせます」(歴史研究家の跡部蛮氏)

 その本能寺の変の中心人物、主人公である光秀の謎を追ってみよう。まずは、光秀が実は医師だったのではないかと思わせる新史料『針薬方』の話からだ。

「光秀がまだ将軍・足利義昭や信長に仕える前、西近江の田中城というところに籠城した際、幕府奉公衆に医術の秘伝を伝授したと書かれているんです」(前出の郷土史研究家)

『明智光秀は二人いた!』の著書もある前出の跡部氏が、こう解説する。「まず、光秀が秘伝を伝えた相手が幕府奉公衆であることを考えると、光秀も同じ身分であったと考えられます。次いで『針薬方』によると、光秀の医術の知識は、傷の手当などの外科的なものから産婦人科的なものまで、幅広かったことも分かっています」

 幕府奉公衆で外科医兼産婦人科医の光秀。大河では美濃明智荘に住む道三の家臣として描かれているが、どうやら別の顔がありそうだ。一方、光秀が本能寺で信長を討ち取った数日後、京の町衆が光秀に粽を献上したという記録がある。

「光秀の好物が粽だったからでしょう。これには事後談があって、そのとき、光秀は包みの笹の葉を取らず、包みごと粽を口に入れてしまったそうです。信長を討っても期待した援軍が集まらず、意気消沈して自分自身を見失っていたのではないでしょうか。町衆たちはその姿を見て、“こんなヤワな男だったのか”と、光秀という武将を見限ったといいます」(前出の県文化財保護課担当)

 智将といわれる光秀の意外な素顔と言うべきだが、実は彼、南蛮人宣教師の記録によると、「ほとんどすべての者から快く思われていなかった」という。織田家中で嫌われ者だったようだ。

 この続きは2月10日発売の『週刊大衆』2月24日号で。

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