江戸時代、遊郭を仕切る楼主は差別対象!?なかには自殺してしまった楼主も… (2/3ページ)
そのような状況だったので、元遊女だから妻にできないという男性はあまりいませんでした。ただし、その状況を不思議に感じたのが外国人たちです。
当時 来日していたドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペルは「日本誌」に、スウェーデンの植物学者カール・ツンベルクは「江戸参府随行記」に、それぞれの著書で「身を売っていた女性が一般の家庭に入ることは珍しくないし、それをまた周りも普通に受け入れている」と驚いた様子で綴っています。
痛烈に差別されていた楼主たち一般の人たちは、身売りされてしまった遊女に対して同情的な視線を向けていたのでしょう。その反面、遊女たちを束ねる楼主は批判の対象となりました。
楼主は「忘八(ぼうはち)」と呼ばれ、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの徳を忘れたという意味で蔑まれていたのです。
「日本誌」内で、ケンペルは楼主に対して「決して公正な市民ではない」と差別的な意見を述べています。外国人だけでなく、江戸の市民や幕府の人間でさえも、楼主の所業は人間のすることではないと痛烈に非難しているのです。
江戸時代の見聞録・世事見聞録には、楼主を「およそ人間にあらず」と表現しています。また、ある訴えを起こされた楼主に対して、幕府からは「楼主は四民の下」だと批判されていました。