絶体絶命!賊徒に襲撃された清少納言が裸体をさらけ出し…どうなった?【上】 (3/4ページ)

Japaaan

致信は保昌の命によって頼親の郎党・当麻右馬允為頼(たいまのうまのじょう ためより)を殺害して頼親の勢力を撃退。その怨恨が犯行の動機と推測されています。

「おのれ清監!かの恨み、晴らさでおくべきか……っ!」

そこで頼親は兄・源頼光(みなもとの らいこう)やその懐刀であった頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)と協力し、保昌と別行動をとっていた致信が京都で休んでいたところを襲撃したのでした。

この時の軍勢は騎馬の者7、8名と徒歩の者10余名。そこに頼親&頼光+四天王ですから、最大30名弱の大所帯で屋敷を包囲したことになります。

流石の致信も多勢に無勢、決死の大立ち回りも虚しく、あわれ刀の錆とされてしまったのでした。

清少納言にも兇刃が迫る……!

さぁ、大変なことになりました。

向こうの寝室から兄の断末魔を聞いたのは、折悪しく泊まりに来ていた清少納言。この頃は既にアラフィフ(50歳前後)で、出家して尼僧となっていました。

若い時は相応の美しさと才能を鼻にかけて肩で風を切っていた彼女も、すっかり老いさらばえて恋人からも捨てられてしまい、人々から喜捨(きしゃ。仏道において功徳とされる寄付)を受けて糊口をしのぐ、実質的な物乞い状態に落ちぶれていたのでした。

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