下着は履くと逆に下品だった?江戸時代にようやく肌着が浸透。日本人とパンツの歴史【後編】 (1/2ページ)

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下着は履くと逆に下品だった?江戸時代にようやく肌着が浸透。日本人とパンツの歴史【後編】

現代では着用するのが当たり前である、下着としてのパンツ。しかしながら、着物が主流であった私たち日本人にとっては、歴史的にみるとパンツには大変なじみが薄く、新参者であると言えます。

むしろ昭和の初期くらいまでは履くタイプのパンツは着物を着用した際に下着のラインが浮き出てしまうため、下品だとされていました。では日本人はどんな下着を着用してきたのか?前編に引き続き、日本人とパンツの歴史をご紹介します。
前回の記事はこちら

日本で初めて女性用パンツを手にしたのは豊臣秀吉!?日本人とパンツの歴史【前編】

江戸時代に湯文字登場

日本では長きにわたり、パンツという概念が存在せず、女性は基本的にノーパンか、ふんどしを締めたりしていました。江戸時代になると、ようやく肌着を身に着けるという習慣が浸透し始めます。ただしそれも履くタイプではなく、腰に巻く「湯文字」というものでした。

江戸における湯文字は緋色か白、ただし老女は浅葱色。大坂では遊女が赤で素人は白、三重では黄色という風に、なぜかやたらと色に関してはレパートリーが豊富に取り揃えられていました。

湯文字は履くタイプではないので、布二枚を並べて長方形に縫った上部に腰ひもを縫いつけて腰に巻いて着用しました。

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