「遊女=身体を売る」ではなかたった。遊女のルーツが登場する記録は「万葉集」にまで遡る (3/4ページ)
しかし更に時代を遡ると、 貴族の屋敷の宴席に呼ばれて歌ったり踊ったりする女性「遊行女婦」は、必ずしも「売春」をする仕事ではなかったことが分かります。
天皇が崩御された際、当時は遺体を葬儀の日まで安置していくおく「殯宮(もがりのみや)」という場所で、歌ったり踊ったりする神事を行う女性たちがいました。彼女たちは「遊部(あそびべ)」という部署に配属されており、「全国を自由に行き来できる」という特権が与えられていました。
この制度は後に廃止され、行き場を失った彼女たちの中には「遊行女婦」として地方の貴族のお相手となった女性もいたようです。
当時の日本は現代のような一夫一婦制ではなかったこともあり、既婚者が配偶者以外の異性と関係を持っても、週刊誌やワイドショーでつるし上げられるような騒ぎになることはありませんでした。
また古代は女性の地位が比較的高かったため、「遊女=身体を売る=卑しい」という価値観もありません。