武士の身分を取り戻せ!明治維新の戦場を駆け抜けた甲賀忍者たちの武勇伝【下】 (3/4ページ)
前進する仲間の後方をしっかり守り抜いた甲賀古士たちの武勲は、最前線に躍り出た者と同等か、それ以上のものと言えるでしょう。
京都への堂々たる凱旋、新しき世の武士を夢見て……その後、庄内藩が再び関川口に攻めてくることはなく、9月27日に藩主・酒井忠篤(さかい ただずみ)が新政府軍に恭順。
降伏した庄内藩主・酒井忠篤。後に赦免され、その軍才を活かして帝国陸軍の発展に貢献。
これで東北戦線はひとまず落ち着いたため、庄内藩の戦後処理は他藩にお願いして甲賀隊をはじめとする諸隊は越後口総督(北陸方面の総大将)である仁和寺宮嘉彰親王(にんなじのみや よしあきしんのう)に従って奠都・東京に入り、11月4日に明治天皇に拝謁して賊軍討伐の錦旗を返上。
そして12月1日、約半年ぶりに京都へ凱旋した一同は、嘉彰親王にゆかりの深い仁和寺で大歓迎を受けて、その夜は祝勝会が催されました。
「いやぁ、奥羽の賊徒も平定されてまずはめでたい。まだ抵抗を図る残党もおるようじゃが、その降伏も時間の問題であろうよ」
「関川口での攻めぶり、防ぎぶりは甲賀古士の面目躍如、かの武功を以てすれば、武士へのお取り立ては疑いなかろう」
「左様々々。我ら新しき世の武士、甲賀新士などと称する日も、そう遠くはなかろうのぅ……」
などと大きな期待に胸を膨らませたのかも知れませんが、彼らの希望がついに果たされなかったのは、こんにち歴史に語られる通りです。