映画『股旅』で描かれた当時珍しいことではなかった「野垂れ死に」 (3/4ページ)

心に残る家族葬

最終的に白骨となり、風に吹かれ、バラバラに散らばった格好で草むらの奥に埋もれ、その人物の存在全てが忘却の彼方に消えてしまう…生きている間のみならず、死後においても「みじめ」なのが「野垂れ死に」だ。

■野垂れ死にはそう珍しいことではなかった

しかし、考え方を変えてみると、古代から戦国時代までの日本においては、貴族や僧侶などの支配者階級または高位の者、一部の富裕な土地の豪族や商人などの墓所は立派なものがつくられ、その死を悼む宗教儀礼も定期的に行われていたのだが、一般庶民の場合は、遺体は旅先での行き倒れでなくとも、山や海、どこかの林や川辺などに「野ざらし」にされていたのだ。今日のように、誰でもが葬送儀礼によって死の国へ送り届けられ、ある程度の時がたったら、骨を墓所に納めるという習慣が固定化されたのは、江戸時代の寺請制度以降の話である。しかし、侠客を志した若者たちは、そうした「人並みのありよう」をも捨て去って、「大親分になる」という夢に人生を賭けたのである。

■夢叶わず、誰にも知られず死んでいった若者を淡々と描いた股旅

その当時の「当たり前」を、『股旅』では、淡々と描いているからこそ、痛ましいのだ。

冒頭で紹介した、大山詣でで賑わった大山街道にも、夢破れ、旅の途中で亡くなった、源太や信太のような若者たちがたくさんいたことだろう。もしもその死が夜だったとしたら、彼らが煌々と道を照らす常夜燈の光を目にした時、不如意に終わることとなった人生や、自身の運命に対する恨みつらみをせめて一瞬でも忘れ、ほんのわずかの安堵感を抱きながら目を閉じてくれていたらよかったのだが…。

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