15世紀にイギリスから広まり、忘れ去られた恐ろしい疫病「粟粒熱 (ぞくりゅうねつ)」その原因は今も不明 (1/4ページ)

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15世紀にイギリスから広まり、忘れ去られた恐ろしい疫病「粟粒熱 (ぞくりゅうねつ)」その原因は今も不明
15世紀にイギリスから広まり、忘れ去られた恐ろしい疫病「粟粒熱 (ぞくりゅうねつ)」その原因は今も不明


 中世の時代、人々は次々襲ってくる病気の脅威に常に悩まされていた。衛生知識もろくになく、病気の性質に対する理解も乏しかったこの時代、ひとたび病気が発生すると、たちまち蔓延し、中世の医師たちは頭をかかえた。

 こうした病の多くは、今日ならその仕組みや対処法が解明されているが、今なおその原因がわかっていない謎の病がある。

 イギリスではじまり、ヨーロッパ各地に広がっていった粟粒熱(ぞくりゅうねつ)という疫病だ。
・突如ヨーロッパを襲った謎の伝染病「粟粒熱」

 1485年、謎の伝染病がイングランドで発生した。その後徐々に広がりを見せ、ヨーロッパじゅうに蔓延し、最後の記録は1551年となっている。

 その症状は、まず熱が出て悪寒がし、頭痛、首、肩、四肢の激痛、耐えがたい疲労感に苦しめられる。悪寒が30分から3時間ほど続くと、次に熱が出る。やたらと汗をかき、異様に喉が渇いて、うわ言を言い出す。

 脈が異常に速くなり、動悸がして胸の痛みを訴える。しまいには、衰弱して昏睡状態に陥り、二度と目覚めることはない。

 粟粒熱の恐ろしいところは、発病してから亡くなるまでが非常に早いことだ。ほとんどの患者は、最初に症状が出てから18時間以内に死ぬ。最初の24時間をなんとか生き延びた者だけが回復した。


・66年間で5回のパンデミック

 粟粒熱は、1485年から最後の記録が残っている1551年の66年の間に5回ほど流行した。

 粟粒熱が初めて発生した1485年は、ヘンリー7世の時代で、ボズワースの戦いのすぐ後だった。わずか1ヶ月の間に1万人以上の人が死んだ。

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 次の1507年の発生のときは、それほど広まらなかったが、3度目の流行のときは深刻で、人口の半分が死んだ町もあった。
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