なんと毒見は3回も!?一生ずっと”冷や飯”を食わされ続けた江戸幕府の将軍たち【下】 (2/3ページ)

Japaaan

初代将軍・徳川家康が「貧乏だった三河時代を忘れまい」と質素倹約に努めたからとも、素食こそ健康によいと考えられたからとも言われます。

ちなみに、ご飯は現代(あるいは庶民)のような炊き方ではなく、水洗いした米を湯で煮てから掬い取り、蒸すことで油脂分を落とし切ったオカラ状で、魚も丹念に水洗いして脂も旨味も抜き去った出がらし状。たとえ出来立てでも決して美味しいとは言えなさそうです。

落語「目黒の秋刀魚」もそうですが、昔の日本人は油脂分の消化が苦手だったようで「万が一、将軍様がお腹を壊しては一大事(自分の首が飛ぶかも知れない)」と、味など二の次だったのでしょう。

また、時代が下るにつれ徳川将軍の命日も多くなり、その日は忌日として精進しなければなりませんから、酒も魚もダメになります。

どっちが主君か判らない?自由がなかった将軍の生活

好き嫌いは厳禁で、食べ残しがあろうものなら、すぐに医者が飛んできて診察し、体調に問題なしとなれば「お口に合わない料理を作った」として料理役人が叱責を喰らう……将軍もそれを知っているので、どんなに嫌いなものでも頑張って食べたようです。

あと、食べこぼしがあった場合は必ず将軍自身が拾って(よほどの状態でなければ)食べたそうで、これは「食べ物と、それを作った人に対する感謝の気持ち」を忘れぬようにするためで、これは将軍に限らずどこのお殿様も同じでした。

ちなみに、朝食時は食事と同時進行で髪を結い直し、顔や生え際を剃ってもらうため、常に剃刀が自分の顔に触れた状態で食べねばならず、うっかりクシャミも出来ません。

「なんと毒見は3回も!?一生ずっと”冷や飯”を食わされ続けた江戸幕府の将軍たち【下】」のページです。デイリーニュースオンラインは、江戸幕府将軍江戸時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る