「ナイトスタンド・ブッディズム」ーー読書で完結する仏教 (1/3ページ)

心に残る家族葬

「ナイトスタンド・ブッディズム」ーー読書で完結する仏教

宗教が哲学・思想と異なるのは「行」「体験」の存在である。本で学んだ知識だけで宗教を理解するのは難しいだろう。しかし読書には相応の効果があることも事実である。やがてくる親しい人や自分自身にやってくる苦難への備えとしての読書の効用について考える。

■アメリカでは仏教が独特な受け止められ方をしている

アメリカの仏教の現状についてケネス・タナカ(武蔵野大学名誉教授)は「ナイトスタンド・ブディスト」(Nightstand Buddhists )というライフスタイルの流行を紹介している。

ナイトスタンドとは寝室の電気スタンドを置く台のこと。一日の仕事が終わり帰宅し、食事や入浴を済ませ、夜、寝る前に仏教や瞑想のついての書籍を読み、瞑想を行う。また講演会などに行き仏教の話を聞き、日々を充実させようという人たちである。

ケネス・タナカによると、彼らは特定の宗派や宗教団体に束縛されることを嫌っており自らを仏教徒とは名乗らない、仏教愛好家というべき層である。アメリカで定着しつつあるマインドフルネス瞑想は宗教色を排したエクササイズとしての受容だが、宗派に属することなく読書とエクササイズだけ、あるいは読書だけで完結する仏教というスタイルもあるのだ。

■体験や修行せずに仏教を学ぶことの是非

ナイトスタンド・ブディストは、いかにもアメリカのビジネスパーソンらしいスタイリッシュな仏教との接し方である。しかし真剣に宗教、宗派を信仰している人には軽薄な印象を受けるだろう。本を読み知識を噛りベッドの上で瞑想の真似事をする。それで仏教と言えるのか宗教といえるのか。確かに仏教といえば厳しい修行のイメージがあり、そうでなくても宗教を本で理解するなど無理ではないかとも思う。宗教とは体験に尽きる。言葉を超越した世界こそが宗教が提供する世界のはずである。

■空海と最澄の仲違いの原因もそうだった

空海(774〜835 )と最澄(767〜822 )の仲違いもそれが原因のひとつであった。最澄が空海に真言密教の重要な経典「理趣釈経」の貸出を申し出たところ、空海は密教は書物だけで理解できるものでないと断っている。宗教の本質からすればこの件は空海に理がある。

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