実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【五】 (5/6ページ)

Japaaan

「用意、てー!」

「我らが尽忠報国の志を邪魔するヤツぁ、誰であろうと容赦はしねぇぞ!分かったか馬鹿野郎!」

……この一件で会津藩主・松平容保(まつだいら かたもり)は激怒して局長・近藤勇(こんどう いさみ)を呼び出して叱責。見捨てられたくない近藤は平謝りで「必ず、芹沢を始末する」事を約束するのでした。

禁門の変で魅せた!芹沢鴨「男の花道」

そんな調子で信用ガタ落ちの壬生浪士組でしたが、文久三1863年8月18日に起きた長州藩のクーデター「禁門(蛤御門)の変」には会津藩のお手伝い(義勇軍)として御所内の警備を命ぜられます。

……が、配置されたのは戦線からずっと後方で、手柄を立てる機会(と言うより警備する必要)はなさそうでした。会津藩からあまり信用されていなかった事が察せられます。

しかも連絡が遅れたため、御所に駆けつけた時には御所の門がすっかり封鎖されており、警備する会津藩兵たちにも連絡が行っていなかったようです。

「何者だ!……壬生浪士組?そんな話は聞いておらぬ!帰れ帰れ!」

どんなに事情を説明しても、中に入れて貰えず、仕方がないから帰ろうか……と、近藤や土方が諦めかけたその時です。

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