実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【五】 (1/6ページ)
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実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【四】時は幕末・文久三1863年、晴れて会津藩(京都守護職)のお預かりとなった壬生浪士組(みぶ ろうしぐみ)は、武士らしい体裁を整えて、それまでの内輪もめ(水戸派VS試衛館派)を解消するべく努力していました。
しかし、そんな中で筆頭局長である水戸派のボス・芹沢鴨(せりざわ かも)が次第に暴走を始めてしまいます。
芹沢の片腕として活躍していた隻眼の剣術家・平山五郎(ひらやま ごろう)は、芹沢を止めることが出来るのでしょうか。
治安維持で来た筈が……大阪で乱闘事件さて、文久三1863年6月、壬生浪士組が不逞浪士を取り締まるため、京都から大阪に出張していた時のことです。芹沢たちが市中を見回っていた時、前方から小野川部屋(力士)の一団がやって来ました。
「……おい、邪魔なんだよデブ。さっさと道を開けんかい」
まず突っかかったのは、安定と信頼?の芹沢先生。しかし、小野川部屋の力士たちも怯みません。
「ふざけるな。