『とくダネ!』打ち切り一転継続!? 今秋終了が覆った裏事情とは… (1/2ページ)

まいじつ

『とくダネ!』打ち切り一転継続!? 今秋終了が覆った裏事情とは…

昨年10月発売の『週刊文春』により、今年秋での番組終了が報じられた『とくダネ!』(フジテレビ系)。しかし、さまざまな要因が重なったことで、一転して〝番組継続〟が決まったという。

当時の「文春」によれば、「とくダネ!」は今年秋で放送終了。新番組のメインキャスターには、前月にフジテレビを退社しフリーとなった笠井信輔が就任予定だとされていた。フジ退社後の笠井が小倉と同じ事務所に所属したのも、こうした〝禅譲〟のためだったという。

「ここ数年、自身の衰えを感じた小倉さんは〝生涯現役〟というモットーを捨て、花道を作って隠居に入る筋道を立てていたそうです。その〝後継者〟に指名されたのが笠井。フジ退社の際も、小倉さんが強く誘い入れたことで事務所入りが実現したそうです」(芸能記者)

また、番組は笠井の退社と同じタイミングで大幅リニューアルをしており、ここにも小倉の意向が強く反映されていたという。

「昨年秋の改編時、小倉さんは編成とも話し合った上で、カズレーザーと社会学者の古市憲寿氏をスペシャルキャスターに就任させます。この〝ご指名〟は次期番組を見据えたもので、小倉さんは、キレ味鋭いインテリ芸人と忖度しない社会学者というタッグが、メインキャスターの笠井を支える体制を思い描いていたそう。つまり、昨年10月からの『とくダネ!』は、次期番組の〝プレ〟的意味合いがあったのです」(同・記者)

地元五輪取材で“有終の美”を飾るつもりだった!?

しかし、小倉の事務所に所属してわずか2カ月後、笠井に悪性リンパ腫の罹患が発覚。後継者としての番組引き継ぎどころか、苦しい闘病生活に突入してしまった。そして、もう一発飛び込んできた〝青天の霹靂〟がトドメとなり、番組は打ち切りから一転して継続することになる。

「東京オリンピックの延期です。小倉さんは昔からオリンピックが大好きで、その熱意は並々ならぬものがある。1964年の東京大会では、まだフサフサだった当時高校2年生の小倉少年が聖火ランナーに参加しています。その後、アナウンサーになってからも『オリンピックの実況をするのが一番の夢』と語るほどで、シドニー大会には取材ではなく観戦ツアーにまで参加。

「『とくダネ!』打ち切り一転継続!? 今秋終了が覆った裏事情とは…」のページです。デイリーニュースオンラインは、笠井信輔とくダネ!小倉智昭東京五輪エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る