中井祐樹の「何かを失っても『格闘技を守りたい』という思い」 (1/5ページ)

日刊大衆

中井祐樹 (写真提供/パラエストラ東京)
中井祐樹 (写真提供/パラエストラ東京)

バナー題字・イラスト/寺田克也

『バーリ・トゥード・ジャパン・オープン1995』におけるヒクソン・グレイシーやジェラルド・ゴルドーとの激闘で、日本格闘技史にその名を刻んだ中井祐樹。パラエストラ東京設立後はブラジリアン柔術の普及に務めている。今日の日本における柔術の繁栄は、中井の格闘技に対する思いの深さ抜きには語れない。

 国内外に多くの支部を持つ「パラエストラ」ネットワークの代表として、日本ブラジリアン柔術連盟の会長として、日々格闘技と深く関わってきた中井に、新型コロナウイルス感染症の新規感染者の減少が伝えられるなか、今の気持ちを聞いた。

25年が経過した今も伝説として語り継がれるヒクソン・グレイシー戦 25年が経過した今も伝説として語り継がれるヒクソン・グレイシー戦

 3月下旬、中井祐樹は活動の要といえる江古田のパラエストラ東京を休館した。その数日前小池百合子都知事が「週末の外出自粛要請」を出したことがきっかけだった。中井が会員に休館の理由を説明すると、素直に応じてくれたという。

「皆さん、大人なので、『事態はよく把握しています』という感じでした。数名離れてしまった方もいるけど、ちょうど転勤や進学で人が動く時期でしたからね。辞める理由はコロナではないということでした。今はみな道場の再開を待っている感じですね」

 パラエストラは全国に支部を持つが、全体を通して遵守しなければならない方針や規則はない。コロナ禍が広がりを見せた時の対処法もマニュアルがあるわけではなく、全て各支部長任せだったという。

「『パラエストラはこうあるべき』といった道場訓みたいなものがあったほうがいいという声もあるけど、地域によって状況は異なりますからね。

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