あの伝説のキックボクサーが、落語家の弟子になっていた!?(前編) (2/5ページ)
舞台上の話し言葉は文法通りではなく、座布団の上の興奮状態では、サービスの追い風もあり予想外の言葉が飛び出し誤解を招くことが稀にある。もちろんこれまで胸ぐら掴まれたことなどないのだが。
「話ってなんでしょうか?」と答えると
じっと僕を見て彼は「あのぉ、弟子にしてください……」
「えっ!?」
彼の名前は小林聡。伝説のキックボクサーであることは知っている。雑誌や映像はもちろん後楽園ホールで見たこともあるぞ。
「ど、どういうことですか?」
「自分が熱くなることを、一からやりたいんです。ちゃんと修行したいんです。なんでもやります」
と深く頭を下げた。邪な考えでないまっすぐな気持が伝わってきた。それもあるジャンルでひとつ成し遂げた人でもある。
仮にこっちが大御所で弟子もたくさんいれば対応出来たが、年齢だってそんなに変わらない元プロキックボクサーからの弟子入り発言にはどうしていいかわからなくなった。
真打ちなので弟子はとることは出来るが、僕には当時まだ弟子はいなかった。というかとってもいなかった。
僕が所属する一般社団法人落語協会では、弟子入門志願者で前座になれるのは30歳までと定められている。それを伝えた。だからと言ってその気持ちを無下にするのも嫌だったので、話を聞いた。
その頃、彼自身人を雇っての仕事も抱えていたので、年齢制限をクリアしても前座修行と兼ねることは難しかったかもしれない。
■落語家”小林家さとし”の誕生
小林聡は通算69戦を闘い、国内外の様々なタイトルを獲得した
後日うちの仕事場に来てもらった。落語をやりたいということなので、外弟子という形をとって、それでもよければやってもいいことにした。