元中日・岩瀬氏「誰も助けてくれない」 抑え転向で感じた重圧を告白 落合監督の異例の方針にも苦労していた? (2/2ページ)

リアルライブ

「もっと前から抑えをやっていたら何セーブ挙げていたのか」と言われることも多いというが、「実際に(2004年以前から抑えを)やっていたらできていなかったかもしれない」とも語っていた。

 今回の放送を受け、ネット上には「キャンプの紅白戦懐かしいなあ、当時は調整失敗する選手が続出すると思ってた」、「就任時に優勝宣言して本当に優勝したら、そりゃ選手も『この人は凄い監督だ』ってなるだろうな」、「岩瀬は毎試合そこまで強い悲壮感を胸にマウンドに上がってたのか」、「岩瀬は抑え転向前からセットアッパーとして活躍してたけど、確かにこの経験が無ければ潰れてたかも」といった反応が多数寄せられている。

 現役時代に中日(1999-2018,2019)一筋で活躍した45歳の岩瀬氏と、監督時代に中日(2004-2011)を率いた66歳の落合氏。両者は2004~2011年にかけて共に中日に所属し、同期間内にリーグ優勝を4回、日本一を1回経験している。

 「落合氏が岩瀬氏を抑えに転向させた背景には、当時のチーム事情が関係しています。2003年までチームの抑えはギャラードや大塚晶則といった面々が務めていましたが、同年途中にギャラードが横浜へ移籍し、大塚もシーズンオフにボスティングでメジャーに移籍。また、両名の退団を受けた補強もなかったため、落合氏はセットアッパーとして場数を踏んでいた岩瀬に白羽の矢を立てています」(野球ライター)

 セーブ記録保持者ということもあり抑えとしてのイメージが強い岩瀬氏だが、抑え転向以前からセットアッパーとして計294試合に登板するなどフル回転している。こうした経験があったからこそ落合氏は岩瀬氏に抑えを託し、託された岩瀬氏も期待に応えることができたのかもしれない。

文 / 柴田雅人

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