元中日・岩瀬氏「誰も助けてくれない」 抑え転向で感じた重圧を告白 落合監督の異例の方針にも苦労していた? (1/2ページ)

リアルライブ

岩瀬仁紀氏
岩瀬仁紀氏

 元中日で野球解説者の岩瀬仁紀氏が、4日放送の『ドラゴンズステーション』(東海ラジオ)に生出演。2004年から2011年にかけて共に戦った元中日監督・落合博満氏や、自身が長年務めた抑えについて言及した。

 番組内で岩瀬氏は、5年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした2004年の中日をテーマにトークを展開。その中で同年が就任初年度だった落合氏や、当時プロ6年目の29歳だった自身が同年から転向した抑えについて語った。

 落合氏は当時、就任会見で「現有戦力を10%底上げすれば優勝できる」と宣言し、春季キャンプ初日からいきなり紅白戦を組むなど話題を呼んだ。キャンプ初日の紅白戦には自身も驚いたという岩瀬氏は、「(紅白戦は)だいたい(キャンプ初日から)2週間ぐらい後なんですけど、それが2週間前倒しになったのでまあ大変でしたよ」と調整面の苦労を明かした。

 落合氏の異例の方針のかいもあり、同年の中日は「79勝56敗3分・勝率.585」といった成績を残し落合氏の言葉通りにセ・リーグを制覇。岩瀬氏は「その(結果の)インパクトが強すぎて、それ以降落合監督が何を言っても信頼できた」と、有言実行の優勝を実現させたことで落合氏への尊敬の念が高まったという。

 落合氏の就任1年目となった2004年の春季キャンプ開始前日、岩瀬氏は落合氏の指示によりそれまで務めていたセットアッパーから抑えに転向している。岩瀬氏は「自分の部屋に来た落合監督から直接『お前は抑えだ』と言われた」という。

 監督直々の言葉を受けやる気満々で転向を受け入れたという岩瀬氏だが、実際に抑えをやってみるとセットアッパーの時とは感じる重圧が全く違ったと明かす。岩瀬氏は「『誰も助けてくれない』という感覚が強かった。セットアッパーの時はピンチになったら英二さん(落合英二/現韓国・サムスン二軍監督)が助けてくれたりとかはありましたけど、9回の抑えっていうのはその人間で(試合が)終わらないといけないので」と当時の重圧を明かした。

 一般的には中堅と言われる29歳で過酷な抑えに転向しながらも、その後44歳で引退するまでにプロ野球記録となる407セーブを挙げた岩瀬氏。

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