「元カノの結婚」に男性が寂しさを覚える理由 (1/4ページ)
2020年3月13日。
首都圏と伊豆を結ぶ特急・スーパービュー踊り子号が、その30年の歴史に幕を閉じました。
スーパービューという名前の通り、大きな窓から伊豆半島の豊かな自然を楽しめるその列車は、多くの鉄道ファンに人気の車両で御座いました。
私の母は伊豆の出身なので、私も子どもの頃には何度かこのスーパービュー踊り子号に乗ったことが御座います。
私にとって踊り子号は夏休みの最大の楽しみであった母方の実家への帰省を象徴する乗り物で御座いましたので、3月にラストランをした時はとても寂しい気持ちになりました。
■男性にとって「元カノの結婚」とは
とまぁ感慨深く偉そうな話をしましたが、私が最後にスーパービュー踊り子に乗ったのは小学生の時。つまり今から15年以上前の話で御座います。
ラストランのニュースを見たからこそ踊り子号のことを思い出しましたが、最後に乗車してから15年間、私が踊り子号のことを考えたことは御座いません。
寂しいだのなんだの言っておりますが、ラストランのニュースを”たまたま”見たからこそ殊勝なことを言っているだけで、もしもニュースを見なかったら死ぬまで踊り子号のことを思い出しはしなかったでしょう。
つまりその程度の感情なのです。私は鉄道マニアでもないので、1つの車両にそんな深い思い入れは御座いません。乗ったのもせいぜい5、6回。窓が大きくて伊豆の自然が楽しめるだの何だのそれらしいことを言いましたが、私が踊り子号の中で見つめていたのは窓ではなくゲームボーイのポケモンで御座います。
それにもしもスーパービュー踊り子号が復活しても、私はその電車に乗ろうとはしないでしょう。「もう乗れない」と聞いたから寂しい気持ちになっておりますが、たとえスーパービュー踊り子号が走り続けていたとしても、恐らく私は死ぬまで踊り子号に乗ることはなかったと思います。
恐らく皆さまもこのような感情を抱いたことはあるのではないでしょうか?
男性にとって「元カノの結婚」に抱く感情は、それに非常によく似ております。