伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【3/4】 (1/5ページ)

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伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【3/4】

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伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【2/4】

戦国時代、伊達晴宗(だて はるむね)の娘として生まれた阿南姫(おなみひめ)は、須賀川(現:福島県須賀川市)城主の二階堂盛義(にかいどう もりよし)に嫁ぎます。

夫婦仲は円満で、永禄四1561年には長男・平四郎(へいしろう)を授かりますが、平四郎が5歳の時、黒川(現:福島県会津若松市)城主・蘆名盛氏(あしな もりうじ)に敗れたことで、臣従の証として養子≒人質に出させられてしまいました。

しかし人生は「塞翁(さいおう)が馬」、蘆名家の跡取りであった蘆名盛興(もりおき)が若くして亡くなると、平四郎が蘆名家を継いで元服、蘆名盛隆(もりたか)と称します。

盛隆は英明な君主として領内外に活躍すると共に、父・盛義を引き立てて衰退していた二階堂家を再興。

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