なぜ江戸には2種類の時刻があったのか?江戸時代の時刻を知れば江戸がもっと楽しくなる【その3】 (1/5ページ)

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なぜ江戸には2種類の時刻があったのか?江戸時代の時刻を知れば江戸がもっと楽しくなる【その3】

前回までは「干支で数える時刻」についてご紹介してきましたが、今回は「数で数える時刻」についてご紹介していきたいと思います。

今までの記事についてはこちらを御覧下さい。

太陽と月が生活基準。江戸時代の時刻を知れば江戸がもっと楽しくなる【その1】

干支の時刻を描いた浮世絵。江戸時代の時刻を知れば江戸がもっと楽しくなる【その2】

それにしても、何故江戸時代には2つの時刻があったのでしょうか?今回はこの件について考えていきます。

2つの時刻が存在した理由とは

江戸で幕府を開いた徳川家康は、以前よりかわいがっていた奈良興福寺の蓮宗という人物を江戸城に招き入れました。そして家康が蓮宗に何か望みはないかと聞いたところ、『時を知らせる太鼓を叩く役目をしたい』と申し出たのです。家康はそれを聞き入れ、蓮宗は“卯の正刻(午前6時頃)”と“酉の正刻(午後6時頃)”の日に2回、時を知らせる役目を任じられ太鼓が鳴らされるようになりました。

徳川二代将軍秀忠の頃には2時間ごとに鳴らされるようになり、その役目は蓮宗の子孫が担うことになりました。

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