一度は使ってみたいプロレスの言霊 「俺だってねえ…」発言者・木村健悟 (1/3ページ)

週刊実話

 現在、東京都品川区議会議員として3期目を務める木村健悟。引退後のプロレスラーとしては、かなり安定している部類である。その現役時代を振り返ってみても、大きな故障がなく、長きにわたり活躍を続けた印象が強い。しかし、それは本当に木村の望んだレスラー像であったのだろうか。

 脇役一筋のプロレス人生であった。

 木村健悟(1988年にリングネームをそれまでの「健吾」から改称)。同い年の藤波辰爾(以前は辰巳)とは表向きにはライバルといわれ、ジュニア時代、ヘビー級転向後とそれぞれ抗争を繰り広げたが、シングル戦でのフォール勝ちは一度もない。

 ’87年1月2日の対戦では3カウントこそ奪ったものの、脚のサポーターに凶器を仕込んだ稲妻レッグラリアットによるものであった。そのため、ノーコンテスト(無効試合)の裁定に終わっている。

★脇役に徹したレスラー人生

 タッグを組んでも主役はあくまで藤波であり、木村はそのサポートに回るのが常だった。

 メキシコでタイトルを獲得しての凱旋初戦もテレビ中継されず、一度はNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得したが、これも藤波が故障欠場した際の代替的なものであった。

 反選手会同盟から平成維震軍に在籍した時代も、リーダーはあくまでも全日本プロレス出身の越中詩郎であり、木村は新日本プロレス草創期からのメンバーでありながら、与えられたポジションは副将格。それも肩書だけのことで、試合となると小林邦昭やザ・グレート・カブキ、後藤達俊らにも存在感で及ばなかった。

 ’81年7月、ローラン・ボックの来日初戦で、強烈なダブルアーム・スープレックスを食らって秒殺負けしたように、外国人レスラーの引き立て役となることもしばしばで、揚げ句には付き人だった武藤敬司から、「木村さんみたいなレスラーになりたい。立場が楽だから」などと、いじられるほどの脇役ぶりだった。

 プロレスファンの間でも「木村は弱い」との評価が大勢であろう。

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