歴代総理の胆力「小泉純一郎」(1)良くも悪しくも「言葉の人」 (1/2ページ)

アサ芸プラス

歴代総理の胆力「小泉純一郎」(1)良くも悪しくも「言葉の人」

 自民党議員の顔色より、国民の支持をバックボーンとした、良くも悪しくも「言葉の人」であった。

 小泉純一郎までの戦後総理大臣は、圧倒的多くが言葉を選ぶ「重心の低さ」を売りにしていたが、これとはまったく逆の断定調、ときに絶叫調の短いセンテンスを次々に繰り出し、この「軽さ」「分かりやすさ」で国民の人気を得た。平成13(2001)年4月の内閣発足時の支持率じつに87%(『読売新聞』)は、歴代内閣史上最高のそれであった。それに自信を得たか、翌月の初の所信表明演説で以下のような「小泉節」を披露してみせたのだった。

「私は新世紀維新とも言うべき、改革を断行したいと思っている。痛みを恐れず、既得権益の壁にひるまず、過去の路線にとらわれず、“恐れず、ひるまず、とらわれず”の姿勢を貫き、21世紀にふさわしい経済、社会システムを確立していきたい」

 なるほど、その政権運営ぶりも常に「言葉」が前面に出、「聖域なき構造改革をやる」「構造改革なくして景気回復なし」「派閥あって党なしの自民党は解党的出直しが急務」、ついには「自民党をブッ潰す」と「小泉節」は絶えることなく、その特徴はいわゆる抵抗勢力を意識的につくり上げることにあった。これが“当たった”ことで、自民党は支持するものの、このままではダメだと“新風”を期待する国民の高い支持を維持していったのだった。

 結果、最終的には戦後歴代総理の中でも4番目の6年近くの長期政権を維持した。

 しかし、その政権の実績となると、自らトップリーダーとして先頭に立って汗をかくより、司、司への「丸投げ」、懸案の「先送り」が目立った。例えば、時に政権発足時に掲げた「1内閣1閣僚」「国債新規発行30兆円枠厳守」などの“公約”も、結局はカケ声倒れで終わったが、そのあたりを突かれるといわく、「そんな公約、大したことはない」と、これにはさすがに国民も「小泉流」にアングリであった。

 一国のトップリーダーの言葉は「綸言(りんげん)汗のごとし」とする天皇の言葉同様の重みがあるとされるが、このあたりとは、まったく無縁と言えたのである。

 それでは、政権実績はというと、内政・外交とも成果は乏しかったと言わざるを得ない。

「歴代総理の胆力「小泉純一郎」(1)良くも悪しくも「言葉の人」」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2020年 7/9号内閣総理大臣小林吉弥支持率小泉純一郎社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る