歴代総理の胆力「安倍晋三(第1次)」(1)第1次政権の政策実績はほぼゼロ (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「安倍晋三(第1次)」(1)第1次政権の政策実績はほぼゼロ

 安倍晋三は、前任の小泉純一郎総理の退陣を受け、戦後生まれの初の総理大臣として登場した。平成18(2006)年9月20日の自民党総裁選で、対抗馬の麻生太郎、谷垣禎一に圧勝したものだった。

 祖父は、かの「安保」で勇名をはせた岸信介元総理、父は、岸の長女・洋子と結婚した毎日新聞出身の安倍晋太郎元外相で、晋太郎は総理を期待されながら、ようやく天下取りという目前で病魔により亡くなっている。晋三は、その“名代”として政界入りしたということだった。

 総裁選で勝利を決めた直後、「お袋、やったぜ」と“第一報”の電話を母・洋子にかけているが、そのあたりは「十四光り」のお坊ちゃん体質も感じさせたものだった。

 その安倍の出世は、極めて早かった。早くから自民党の「プリンス」視され、小泉内閣で総理への登龍門ともされる官房副長官に就任、小泉の北朝鮮訪問による拉致被害者の一部帰国にも立ち会っている。その後、当選わずか3回、それまで大臣経験はゼロだったにも拘らず、自民党ナンバー2の幹事長に異例中の異例で大抜擢されたのだった。

 幹事長に就任した安倍は、「若き幹事長」として国民人気が高く、党内外からは「行列ができる幹事長」などと持ち上げられた。

 幹事長として指揮を執ったその後の総選挙でも勝利、さらに小泉総理が仕掛けた乾坤一擲の「郵政解散」の総選挙では幹事長代理ポストで尽力、ここでも300議席に迫る圧勝をもたらす原動力ともなった。ここでは国民人気の高い安倍を上手に使った小泉の戦略が、図星だったと言えたのだった。

 その選挙後に安倍は初入閣、官房長官ポストを得、その勢いを借りた形で総裁選に打って出ての勝利ということだった。時に、52歳、ここまではまさに順風満帆の政治家人生と言えた。

 ところが、政権を取った安倍には、野党の民主党とりわけ小沢一郎代表が立ちはだかった。政権1年足らずに待ち受けていたのが参院選で、安倍はここで早くも苦境を余儀なくされてしまったのである。小沢は衆院選ではないこの参院選を、強引に「政権選択選挙」と位置付けてアピール、負ければ退陣を安倍に迫るということだった。いかにも政局をつくるのが上手な、小沢の“やり口”だったと言えたのである。

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