爆笑!猛暑もコロナもぶっ飛ばせ対談「笑福亭鶴光×三遊亭好楽」(3)ラジオの落語聴き怖い母親が笑顔に (2/3ページ)

アサ芸プラス

鶴光 落語はいつから?

好楽 警察官の親父が40代で急死して、お袋が炭を売ったりして、子供たちを育ててくれたの。アタシは8人兄妹の6番目。ヤンチャだったから、包丁を投げられるワ、裁ちばさみは飛んでくるワ。そんな怖い母親が唯一笑顔になったのは、夜10時、寝転がってラジオで落語を聴いてる時。先代の(三代目三遊亭)金馬師匠の「孝行糖」「転失気(てんしき)」でゲラゲラ。なんだ、この魔物はって、ラジオで聴きまくり、高校時代は池袋演芸場に日参。いちばん前に座ってました。

鶴光 すごい噺家、聴いてるわけやね。

好楽 黒門町の(八代目桂)文楽から(五代目古今亭)志ん生、(六代目三遊亭)圓生、のちの人間国宝の(五代目柳家)小さん、(六代目春風亭)柳橋、(六代目三升家)小勝、そして柳家小ゑん時代の(七代目立川)談志、古今亭朝太時代の(三代目古今亭)志ん朝‥‥。

鶴光 好楽さんがうまい噺家と思ったのは誰?

好楽 やっぱり文楽師匠だね。あと、圓生師匠はラジオにもってこいのリズム感。志ん生師匠は最後の最後の「火焔太鼓」がすごかった。脳出血で倒れたから、最初は言ってること、わかんないんだけど、最後は大爆笑。

鶴光 志ん生師匠のお嬢さんに聞いたら、昔は陰気な噺家だったのが、初代柳家三語楼の滑稽噺を聴いて、落語ってこんなふうにおもしろくできると思うたんやて。それから爆笑派になった。

好楽 きっかけってあるんですよ。談志師匠も小さん(の演目)が得意だったし、師匠の圓楽も圓生(の演目)が得意。けど、そこから脱皮して、天下の談志、天下の圓楽になったわけ。志ん朝師匠はおとっさんが志ん生で、兄貴が(十代目金原亭)馬生、高校時代に噺を全部覚え、前座の時に独演会やったら超満員。3年半かそこらで真打になっちゃう。

鶴光 で、談志師匠が「なんで3年か4年の小僧に抜かされるんだ」って怒ったわけや。

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