平安時代の“ゴーストバスター”!“陰陽師”安倍晴明「伝説の真贋」 (1/3ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 前号で取り上げた紫式部と同じ時代を生き、彼女が女官として仕えた中宮彰子の父である藤原道長と密接に関わった有名な人物の一人が日本史上、最高の「陰陽師」と言われている安倍晴明だ。彼は小説やドラマ、映画に多く登場し、式神(陰陽師が使う鬼神)を自在に操り、「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」「急急如律令」などの呪文を唱えて悪霊を退治。平安時代の“ゴーストバスター”として描かれることが多い。

 その晴明は同時代末に成立した説話集『今昔物語集』によれば、賀茂忠行という陰陽師の弟子となり、幼少時より才を発揮したとされる。たとえば、師匠の外出の供をし、忠行が乗る牛車の後ろに従っていた、ある夜のことだ。忠行は中で寝入って気づかなかったが、供の中では晴明にだけ、牛車に向かってくる鬼の姿が見えた。驚いた彼が師匠を起こして、そのことを告げると、目を覚ました忠行は鬼を確認し、術で自分たちの姿を隠して無事に通過。彼は以来、晴明をそれまで以上にそばに置くようになったという。

 また、鎌倉時代初めの説話集『宇治拾遺物語』には、まるで魔法使いのような晴明が登場する。彼が僧に「式神で人を殺すことができるか」と聞かれ、「たやすくは殺せない。虫などは少しの術で殺せるが、無益な殺生をしたくない」と応えると、庭に五、六匹の蛙が現れた。僧がそこで、「では、あの一匹を殺してみせてください」と言ったことから、晴明は「無益なことだが、私を試そうというのであるからおみせしましょう」と返し、草の葉を摘み取って蛙の上に覆い被せると、ぺちゃんこになって息絶え、これを見ていた者は震え上がったという。

 一方、鎌倉時代初めの『古今著聞集』では、前述の藤原道長の命を救った英雄として描かれている。道長が物忌み(飲食や言行などを一定期間、慎んで心身を清めること)中だったときのことだ。瓜が献じられたことから不審に思い、晴明に占わせると、彼はうち一つが毒瓜であると看破。

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